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崇徳上皇ゆかりの地

かつて琉刑地だったのは、隠岐の島だけやあらしません。
讃岐(香川県)も、かつては島国ゆえに琉刑地だった過去が。今では瀬戸大橋のおかげで本州と陸続きになり、とても便利になりました。そんな瀬戸大橋も今年開通30周年。は、余談。

平安時代後期、保元の乱に敗れて讃岐に流されたのは崇徳上皇。(昔、大河ドラマ「平清盛」で俳優の新さんが演じていた人。余計解りにくい?)

1164年に亡くなるまでの約8年間を讃岐で過ごしたという・・・・
その、崇徳上皇のゆかりの地を巡ってみる事に。

主なエリアは坂出市府中町~林田町界隈。超ご近所。

先ずは崇徳上皇が葬られた場所「白峯御陵」からスタート。
今春、青海神社に(別名 煙の宮)桜を観に来た時から「今度必ず来る」と秘かに思っていたのだ。

青海神社の奥にある西行法師の道を抜けて、白峯御陵へ・・・と簡単に考えていたが、想像してた以上に御陵は遠かった!
満開だった桜並木も今は花が散って毛虫ロードに。そしてサクランボ。
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毛虫を避けながら歩いていくと、目の前に階段出現。しかも、石段ボコボコ。あれ?あんまり人が通ってない?的な。
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辺りを見廻しても何の案内板も無く、この先どれだけ距離があるのか・・・そもそも、このまま歩いて御陵まで行けるのか?それすら未知だけど、先に進むのみ!
暫く登って、ふと振り向くと、この景色。
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結構登ってた。改めて位置を確認すると、四国八十八ヶ所の札所の1つ、白峯寺に向かって歩いてるのが解った。つまり五色台の中に入って行ってる・・・と。御陵に行きたいのに、寺・・・?兎にも角にも、ここまで来たら進むしかない。

行く手に鳥居が。
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参道には歌人としても名を馳せた崇徳上皇を偲んでか沢山の歌碑が建っていた。
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まだまだ続く。もしやこのまま山頂まで続いたり・・・?

どれだけ石段を登ったか解らないけど、全身が汗だくになった頃、ようやくそれらしい広い場所に。
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崇徳上皇が詠んだ歌の石碑が。(百人一首にも選ばれている歌)
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ここでようやく案内板。
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どうやら、白峯寺と御陵は繋がっている様子。何度もお寺には来てたのに、全然気がつかなかった。いつも車で楽に来てたからか・・・
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右に行くとお寺。左に進むと御陵。これは歩いて来ないと御陵の存在に気がつかないかも。

この先に御陵が・・・・(また階段が)
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長い長い階段を上がって、ついに白峯御陵に到着。
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御魂は明治天皇により明治時代に建立された京都の白峯神社に移されてるそうだけど。
当時は御陵とは名ばかりの、盛り土のみの粗末なものだったらしい。もっと祟ってやればよかったのに。

折角なので、お寺にも参拝。
御陵からお寺までは徒歩3分程度。綺麗な青紅葉が。
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白峯寺の奥には「頓証寺殿」と呼ばれる建物。
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崇徳上皇の終の住処となった木ノ丸殿を移し、崇徳上皇の霊を弔う建物としたらしい。
その建物を、白峯山を守護する相模坊が守っている・・・
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長い階段を降りて、次の場所へ。

次は、亡くなった崇徳上皇の棺を置いた際、棺から血がこぼれた事から別名「血の宮」と呼ばれるようになった『高家神社』
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この↑すぐ横に、棺を置いたとされる台が。それが此方↓
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石碑の文字のバランスが悪いのは突っ込んだらダメ?

先程の白峯御陵の麓に高家神社が在る、という位置関係。随分長い距離の山道を棺担いで登ったんだな。。。

次はちょっと場所が離れて、崇徳上皇の終の住処となった木ノ丸殿が在った場所『鼓岡神社』
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此処にも歌碑が
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今は小さな祠を建てて祀っているそう
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その敷地内に、崇徳上皇750年祭の記念に建てられた擬古堂が。かつでの御所、木ノ丸殿を模したらしいが・・・質素です(涙)
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神社のすぐ脇にある『内裏泉』
木ノ丸殿に住んでいた際、飲み水として使っていた井戸の跡。
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そこから歩いて2分弱。
崇徳上皇と、上皇の身の周りの世話をしていた国府役人の娘との間に生まれた子供のお墓。
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どなたかの庭先にあってびっくり。もしかして所縁の方かな??

周辺には史蹟も多く、徒歩圏内に讃岐国府跡も。
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更に、崇徳上皇が暗殺されたと云われる場所もすぐ近くだったらしいけど、見つけきれなかった。
これかと思ったら違っててがっくし。
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雨も激しくなってきたので今回はここで打ち切り。
次は、8年間のうち最初の2年を過ごした御所跡と、暗殺された場所を探しに散策します。
坂出市のHPを見ると、多少崇徳上皇について触れてあったけど、もっと資料館を造るとかして崇徳上皇が讃岐に居たんだぜ!って事をPRすればいいのに。と思った。それは、讃岐に流されて暗殺された崇徳上皇的には迷惑な話なんだろうか。。。。



by labi-usa2 | 2018-05-03 21:34 | 旅の日記