2018年 05月 03日
崇徳上皇ゆかりの地
讃岐(香川県)も、かつては島国ゆえに琉刑地だった過去が。今では瀬戸大橋のおかげで本州と陸続きになり、とても便利になりました。そんな瀬戸大橋も今年開通30周年。は、余談。
平安時代後期、保元の乱に敗れて讃岐に流されたのは崇徳上皇。(昔、大河ドラマ「平清盛」で俳優の新さんが演じていた人。余計解りにくい?)
1164年に亡くなるまでの約8年間を讃岐で過ごしたという・・・・
その、崇徳上皇のゆかりの地を巡ってみる事に。
主なエリアは坂出市府中町~林田町界隈。超ご近所。
先ずは崇徳上皇が葬られた場所「白峯御陵」からスタート。
今春、青海神社に(別名 煙の宮)桜を観に来た時から「今度必ず来る」と秘かに思っていたのだ。
青海神社の奥にある西行法師の道を抜けて、白峯御陵へ・・・と簡単に考えていたが、想像してた以上に御陵は遠かった!
満開だった桜並木も今は花が散って毛虫ロードに。そしてサクランボ。
暫く登って、ふと振り向くと、この景色。
行く手に鳥居が。
どれだけ石段を登ったか解らないけど、全身が汗だくになった頃、ようやくそれらしい広い場所に。
この先に御陵が・・・・(また階段が)
当時は御陵とは名ばかりの、盛り土のみの粗末なものだったらしい。もっと祟ってやればよかったのに。
折角なので、お寺にも参拝。
御陵からお寺までは徒歩3分程度。綺麗な青紅葉が。
その建物を、白峯山を守護する相模坊が守っている・・・
次は、亡くなった崇徳上皇の棺を置いた際、棺から血がこぼれた事から別名「血の宮」と呼ばれるようになった『高家神社』
先程の白峯御陵の麓に高家神社が在る、という位置関係。随分長い距離の山道を棺担いで登ったんだな。。。
次はちょっと場所が離れて、崇徳上皇の終の住処となった木ノ丸殿が在った場所『鼓岡神社』
木ノ丸殿に住んでいた際、飲み水として使っていた井戸の跡。
崇徳上皇と、上皇の身の周りの世話をしていた国府役人の娘との間に生まれた子供のお墓。
周辺には史蹟も多く、徒歩圏内に讃岐国府跡も。
これかと思ったら違っててがっくし。
次は、8年間のうち最初の2年を過ごした御所跡と、暗殺された場所を探しに散策します。
坂出市のHPを見ると、多少崇徳上皇について触れてあったけど、もっと資料館を造るとかして崇徳上皇が讃岐に居たんだぜ!って事をPRすればいいのに。と思った。それは、讃岐に流されて暗殺された崇徳上皇的には迷惑な話なんだろうか。。。。
by labi-usa2
| 2018-05-03 21:34
| 旅の日記