2018年 05月 12日
崇徳上皇所縁の地 第二弾
今回は「讃岐に流された崇徳上皇が最初に上陸した」と伝わる場所【松山の津】からスタート。
場所はさぬき浜海道沿い・・・ ほぼ毎日通ってる道だった。
今まで気にも止めずに通り過ぎてたけど、まさか崇徳上皇が最初に上陸した地だったとは。。。と云うか、昔この辺海やったんかい!って事にも驚いた。しかし知ってしまったからには、次回からは心の中で瞑目して通り過ぎる事にします。
次は、【雲井御所跡】
上陸後、約3年間を過ごした場所だとか。先程の松山の津から車で3分程度。さっきの場所が海で此処は陸地って、現代の感覚だと凄く妙な感じ。当時の地図を見てみたい。
綾川と云えば、最初に綾川をご覧になった崇徳上皇が「(京都の)鴨川によく似ている」と懐かしんで以来、綾川の事を鴨川と呼び続けていたと云うエピソードが残っているが、綾川の畔に住んでたからだったのね、と納得。「上皇様、川全般、大体どれも似たようなもんです」と云う突っ込みは禁止なのでしょう。
御所跡から数百メートル。道路を挟んだ向こう側に石碑が建つ【長命寺跡】
450m四方の境内に仏閣が並ぶ寺院だったとか。雲井御所跡は長命寺だった、とも云われてるらしい。
畑の奥にポツ~ンと建ってる上に、他人様の畑なので近づく事もままならぬ。
崇徳上皇とはおそらく関係ないけど、白峯山の麓に在る【神谷神社】
親子の狛犬、初めて見た
鎌倉初期に建築されたそうで、当初にままに現存している由緒ある神社。建築年代の明らかな社殿としては日本最古だとか。マジか。
こんな所でまさかの国宝遭遇。奥が深いわ、坂出市。
ちょっと脇道逸れたけど、旅の最後は遂に崇徳上皇最期の地【柳田】へ。
前回、半分やけくそで見つけた柳田は、やはり柳田ではなかった。
今回のはガチです。だって33号線沿いにこんな看板が・・・・!
これはいくら看板立ててくれてても気が付きません。
そして、驚くほどの線路脇。怖い。
電車通過しまくり。
誰か助けに行ってあげてよ~~~~~ と云わずにはおれない。
死後、怨霊になっただの無念の内に亡くなっただのネガティブなイメージで言われてるけど(そう云えば怨みのあまり食を絶って亡くなったって話も聞いたことあるけど、結局死因はどっちだ?!)、讃岐の地での約8年間、ちょっとでも楽しい想い出や出来事があったならいいな、と思う旅でした。
by labi-usa2
| 2018-05-12 21:12
| 旅の日記